25(木)快晴後曇り。改正に誘われ、自転車で西川―関屋分水―やすらぎ堤―海岸線を3時間で走破した。帰ってテレビを見れば、北の韓国砲撃による政府の対応が遅いと揚げ足取りの批判だ。戦後の政府に危機管理能力などないだけの話ではないか。
それより北が今後どう出てくるかの方に関心がある。私は朝鮮半島の歴史について、かなり勉強したつもりでいるが、ほんの一部に違いない。私以上に一般国民が知らないことがあるかもしれないと思い書く気になった。北朝鮮の「金王朝」の歴史についてである。
あえて王朝と書いたのは、この国が社会主義はおろか、民主主義と縁もゆかりもない封建国家、独裁国家だからである。金正日の後継者として3男の金正恩がテレビで初めて登場した時、マスコミは祖父の金日成にそっくりだと解説したし、私もそう思った。
その建国の父とされている金日成が実は偽物だという話を私が初めて聞いたのは、もう20年以上も前、新潟に講演に来られた萩原遼氏と酒席を囲んだ時だった。氏は元赤旗記者。72~73年ピョンヤン駐在特派員で、1年で北朝鮮政府から追放された経歴を持つ。
氏の著作には「朝鮮戦争」「ソウルと平壌」などがあるが、「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフェクション賞を受賞した現在フリーランスの作家である。氏の話はにわかに信じ難く、その後、在日朝鮮人の何人かに確認を求めると彼らには常識だった。
しかし、依然としてウイキペデアにもそのことは正史として取り上げてはおらず、「別人説」として紹介しているだけだ。今読み進めている落合信彦著の「北朝鮮の正体」に詳しく載っているので紹介したい。ついでに言えば北の国民が信じ込まされている金正日の出自もでたらめである。
従来の説は金日成が若い頃から満州で抗日パルチザンを組織し、日本軍を打ち破って1945年8月に祖国に凱旋したと信じられている。金日成という人物は実在し、本名は金聖柱36歳、満州で日本軍と戦った英雄だった。本物は37歳で日本軍に殺された。
ソ連の崩壊により明らかになった極秘資料に基づく資料だという。旧ソ連はこの抗日英雄を利用しようと考えたという。彼がニセモノであるという生き証人もいる。朴甲東氏(元南朝鮮労働党地下党責任者)金日成が1932年に人民革命軍をつくったことになっているが、彼はまだ20歳だったという。その時朴氏は26歳。抗日パルチザンでもなかったという。金日成(金聖柱)がソ連軍によって平壌市憲兵隊長に任命され、10月14日のソ連軍を歓迎する市民大会にお立ち台に立ったとき、本物の金日成を知る人々はその若さと出身地の違いに驚いたという。そのことは静かに口コミで南にまで噂が広まったと。
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