19日(日)晴れ。今日は前からお誘いを受けていた教会のクリスマス礼拝・祝会に参加してきた。牧師は24年前のF中時代の教え子Hさん。(女性)4年目のたった1年の担任だった生徒だが印象の強い子だった。お父さんの後を継いで、福音協会の牧師となった。
F中は私が1984年にシンガポールから帰国して赴任した県下一の大荒れ校と言われた学校だった。市内随一の大規模校でもあった。一年生に配属されたものの荒れた2,3年の授業には出なければならず、1年生とはいえ、小学校から申し送りの多い生徒がたくさんいた。
一学期ほど落ち込んだ時はなかったし敗北感に襲われたことはなかった。それでも持ちこたえられたのは私を支えてくれた女生徒と知的で理解ある親たちの存在だった。私が学校の荒れの原因を親や生徒ではなく、学校のシステムだと考え始めたのはF中時代である。
F中時代の教師は結束を強めた。生徒がそうさせたのである。荒れは徐々に収まって行った。教師の熱意がそれに貢献したことはあったかもしれないが、根本的な問題は何一つ解決されてはいない。生徒や教師のストレスを取り払う根本的解決策がないのだ。
具体的な問題点は今まで縷々指摘してきたが、状況はむしろ悪化している。その証拠に暴力も校舎破壊もいじめも不登校も減ってはいない。教師への風当たりは強まる一方で、精神疾患で休職する、あるいは退職に追い込まれる教師が増えているではないか。
3年間持ちあがった生徒が卒業して、勿論、異動希望を出したのだがかなわず、再び1年生担任になった。そして出会ったのがHさんというわけである。毎日が楽しく、暴力は消えていたが、いじめはなくならない。軽い障害を持ったI子ちゃんがいた。
小学校側からの配慮でHさんがI子の世話をすることを期待されてきた。私はすっかり、Hさんに頼り、安心していた。でもHさんは私の知らないところで大変な苦労をしていたらしいことは後日わかった。40人近い子どもたちを把握するのは容易なことではない。
自分ではアンテナを高くして、子どもたちから情報をもらえるような関係を築いていた気でいても、卒業して10年以上も経った同級会で本人から「先生、知っていた?」と自分自身のいじめ体験や友達関係を知らされることが結構あるのである。
そのI子ちゃんも教会に来てくれた。面影はそのままで、すっかり大人になって、私との再会を喜んでくれた。又偶然に優秀な卒業生男子だったW君のお母さんにも声をかけられ、24年前の思い出話に花が咲いた。Hさんのサンタさんに関する講話もためになった。
海外赴任時に必要な予防接種や健康診断が可能な全国のクリニックを紹介しております。