21日(金)曇り。私は読んでいないが、ネットで見つけた「三くだり半と縁切り寺」という著書からの引用で興味深かった。江戸時代の結婚についての内容だ。江戸時代の人口は3200万人中、武士6~7%、町人5=6%、神官、僧侶、エタ・非人で3.1%残りが農民。
江戸時代は法治国家ではないから、庶民の生活を律する法律はなく、幕府による生活規制(慶安のお触れ書きとか5人組に関する掟など)しかなかったのは当然だ。昔からの慣習によっていただろう。三くだり半と言うのは男性が一方的に離縁するときの書きつけ。
研究によれば、三くだり半が夫から妻に渡されたからといって、妻が泣く泣く実家に帰ったわけではないという。江戸時代、離婚は恥でも何でもなかった。気に入らない男性をさっさと見捨てた女性もいたという。我々が今まで抱いていたイメージとは随分違う。
日本の離婚率(人口1000人当たりの件数)は統計が始まった1883年(明治16年)が3.38、旧民法(妻の地位の低下)の定着に従って離婚率は下がり、戦前の私が生まれた43年の離婚率は0.68、戦後右翼グループが新民法で離婚率が増えたと宣伝している。
事実はどうか。敗戦直後の47年が1.02、その後長らく1.0未満に減少。再び1.0を超えたのが72年の1.02、1.5を超えるのがバブル崩壊後の93年の1.52である。そして07年の数値が2.02である。それでも欧米諸国に比べればまだまだ低い優等国である。
明治初年の離婚率の高さから、江戸時代の離婚率は4.0%代だったとの推定が為されている。中でも武士階級の離婚率は10%を超え、再婚率は50%を超えていたという。「貞女二夫にまみえず」といったことは男性の願望に過ぎなかったということである。
百姓町人はどうか。女性の地位はもっと高かったのは間違いない。女性は武士階級に比べれば貴重な労働力であり、軽い扱いを受けたはずはないのである。江戸時代はむしろ今と同じ協議離婚が主体で、夫からの一方的な追い出し離縁は例外だったらしいのだ。
離婚条件は今より女性に有利だった。例えば離婚理由に挙げられているのは1.夫が妻の承諾なしに妻の衣装など持参財産を質に入れたとき。2.妻と別居もしくは音信不通つまり事実上の離婚状態が3~4年続いた時。3.髪を切ってでも離婚を願う時。
4.夫が家出して12カ月(古くは10か月)が過ぎたとき。5.比丘尼(縁切り寺)へかけ込んで、3カ年が経過した時。これでわかるように、右翼が主張している日本の家族制度というのは明治以降の話で、決して日本の伝統でも何でもないということである。
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