18日(金)昨夜は山の会の新年会に誘われ、イスラム教がいう「理性を失わせる悪行」の酒にしたたか酔ってしまった。一品持ちよりで私は手作り餃子を100個持参。30名ほどの会だったが、みなさん本当に山がお好きで、来月から再開される山行きに花が咲いた。
よく聞かされる地名にパレスチナがある。旧約聖書によれば、神がイスラエルの民に与えた約束の地と言われる。ヘブライ語で「イスラエルの地」ともいう。紀元前1000年頃はイスラム教も存在せず、ユダヤ人の独立王国があったわけで、今のような対立もなかった。
イスラエル王国崩壊後は周辺の大国の支配下に入り、イエスはローマ帝国支配下の総督に殺害される。しかし、ローマはキリスト教を弾圧しながら、後には自らキリスト教を国教化することになる。ローマ帝国崩壊後は7世紀にはイスラム帝国の支配下に入る。
イスラムの支配下に入ることによってパレスチナの地にアラブ人が入植することになり、今日の対立に繋がる下地ができたことになる。逆にユダヤ人は世界を流浪する立場に追いやられた。今日のアラブ人とユダヤ人をお互いの父祖の地という根拠となっている。
どちらが正義だと断定できない難しさが歴史的にあったわけである。その後も11世紀の十字軍の遠征によって一時はエルサレム王国ができるが、その後は再びエジプトを中心とするオスマン帝国に支配されることになり、再びイスラム化が進むことになった。
現在の対立の直接の対立は1948年、世界中に散らばっていたユダヤ人が新天地を求めてパレスチナに帰国?(シオニズム運動)入植し、イスラエルという国が誕生した。結果、418もの村から多くのパレスチナ人が難民化してパレスチナ問題が発生したのである。
現在のパレスチナはイスラエルとパレスチナ自治区、レバノンとシリアの一部、ヨルダンも含めた地域ということになるが、複雑で私の理解を超える。今ではパレスチナに暮らすアラブ人をパレスチナ人と呼ぶ。パレスチナ自治区の人口は330万人という。
アラブとイスラエルの対立を見るにはPLOパレスチナ解放機構も見ておかなくてはならない。1964年に設立された組織で、当初はイスラエル国家を打倒し、全パレスチナにムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒のすべてが共存する非宗派的な民主国家が目標だった。
しかし、その後1969年にアラファトが議長に就任し、パレスチナの独立国家樹立とイスラエルとの平和共存の道を模索するように変わった。イスラエル打倒を叫んでいるのはイラン等一部の国で、エジプトなど他のアラブ諸国は解放機構の側に立っている。
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