23日(水)快晴が続く。NZ地震で依然として数百名の人々ががれきの下だと言う。日本人も28人と連絡がとれないとの情報もある。なんとか一人でも多く救出されるよう願うばかりだ。映像で無残な姿を晒している大聖堂周辺はよく家内と歩き回った所でつらい。
報道ではNZは地震国というが、私が調べた範囲では死者十数人を出した31年のネイピア地震以来だと思う。クライストチャーチ自体昨年の余震とのことで、少なくともここ数十年の間で初めてだと思う。本当に美しい街で路面電車とエイボン川が魅力的だった。
NZ第3の街というけれど、観光客が溢れかえることもなく、19世紀のレンガ造りの建物や石畳の道路等静かな佇まいが売りだ。一歩校外に出ればワイナリーや牧場など、牧歌的な田舎の風景が広がる。街の中心部を除けば木造の平屋建てが多いから大丈夫だと・・。
さて、君主制を取り上げたので、日本の天皇制についても考えておきたい。たまたま古本屋で見つけた河原敏明著・「皇太子妃・雅子さま」「美智子妃」を読み進んでいるのでその内容も紹介しながら考えたい。結論を先に書けば、日本の皇室の大改革が必要だ。
戦後、天皇制が残されるにことになった経緯は先日見た。憲法が第一章が「天皇」から始まることに異議を挟む意見もあるが、私は天皇が政治に関わらず純粋に「象徴」であることを鮮明にする意味において妥当だと思っている。旧憲法下での地位が余りに重すぎた。
第一条に「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」とある。この後段こそ保守派が最後まで抵抗した文言で、これこそが国民主権の宣言だった。生徒は「総意に基く」はどうやって確認したの?と聞く。
もっともな疑問で、国民の意思を確認したわけではない。当時の世論調査で85%が賛成と答えていることがわずかな傍証とされたくらいのものだ。当時、日本共産党は天皇制の廃止を主張していたし、15%の国民が賛成していないわけだから、総意と断定できない。
しかし、今では共産党も天皇の存在を容認しており、廃止を主張している政党はない。しかし、第19条によって思想・信条・良心の自由が保障されているわけだから、廃止を叫んだり、批判することは許される。それこそ、戦前の天皇制との決定的な違いである。
君主の性格上、これを世襲(第2条)と定めたことについてもある程度是認できる。マレーシア国王のように、各州のスルタンの中から選挙で選ばれる君主はむしろ、例外である。私が皇室改革が必要だと思うのは、皇室典範にみるさまざまな矛盾である。
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