2日(金)快晴に誘われ、故郷の山角田山に登ってきた。毎日座って被災地のニュースを見ているのも辛い。頂上にはまだ雪がいっぱいなのに、登山道には全くなく、春を告げるカタクリの花や雪割草が咲き乱れていた。頂上から見る風景が被災地にダブって見えた。
今回の事故を受けてもなお原発の推進を明言しているのはフランスとアメリカだ。その両国も核廃棄物の最終処分には数多くの事故を経験している。仏国のア・ラーグ再処理工場61年に完成。76年に従業員の被ばく事故。従業員は3か月のストライキを決行。
80年にはレベル3の事故。81年プルトニウム漏えい事故。この工場は日本とドイツからの依頼を受けて使用済み燃料の再処理を引き受けてきた。97年工場周辺での子供の白血病多発が問題になり、データー隠しも発覚した。仏国の原発依存度は80%だという。
米国はどうか。原爆製造のためのプルトニウム再処理工場はシアトルから南東へ350キロのハンフォード核施設。62年に床に漏れたプルトニウムが臨界事故を起こす。73年、地下埋蔵タンクから大量の放射性物資の放出事故。87年停止された。今も処理が続く。
スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故、日本では余り伝えられなかったこうした事故を通して、欧米各国は「安全神話」を放棄し「原発は本来危険なもの」との前提にたって安全対策を講じてきた。日本はあくまで安全神話にしがみつき、対策を怠ってきた。
何度でも繰り返すが日本は欧米に比べ、何倍もの地震津波対策が想定されなくてはならないのだ。先月末の原子力委員会の斑目委員長の発言には仰天。「正直大変な驚き。憂慮している。どんな形で処理できるか知識を持ち合わせていない」これが規制委員会の長だ。
原子力安全・保安院は専門家集団でないことは先号で述べたが、内閣府に属する安全委員会は一応独立機関で学者の集まりの形になっている。しかし、大半は御用学者であろうし、事実経産省のエネルギー長官や内閣府からも電力会社への天下りが常態になっている。
米仏の核処理(事故対応)は間違いなく日本より先端を行っていると思うが、原子炉や格納容器の話になると、元米GE社の技術者で福島原発6号機の建設や他号機の改修に関わった菊地洋一氏(69)は「起こるべくして起きた事故」と証言している。
「米国から送られてきた設計図はミスが多く、一つの配管で10回以上の変更を余儀なくされた。日本からの耐震性の問い合わせにも明確な答えはなく、そもそもGEは地震について十分に考えて設計していなかった」と。安全とは原発全体の施設だと思ってきたのに。
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