*しばらく東京の桜の写真を掲載する
8日(金)石原東京都知事の花見自粛の勧めに逆らって、2泊三日で東京に花見に行ってきた。あの大震災を「天罰」などと言ってのける人間と違い、私は被災者の気持ちを深く理解している自信があるので、一週間の命しかない桜を愛でるのに自粛などありえようか。
それに我ら二人は東京に5年間も在住したにもかかわらず、貧乏学生故に東京を知らないことに気付いた。池波正太郎作品にも触発されて、時々上京して江戸を探して歩こうと決めた。先ずは千鳥が淵墓苑に行き、靖国神社を横目に無名戦没者に手を合わせた。
ボートの乗り,内堀から見上げる桜はやはり新潟にはない風景だった。その後、増上寺を巡り、品川プリンスホテルに投宿。夜は久しぶりに息子と再会し、つぶれるまで飲んだ。都内のコンビニも駅も節電で薄暗かったが、当然で、これが震災への真の自粛ではないか。
2日目は羽田空港の国際線ビルに行ってみた。噂程ではなかった。お昼を食べ、葛飾柴又へ。帝釈天参道も江戸川の土手もまさに寅さんワールドだった。とらやで草団子にビールを飲んだ。寅さん記念館はなかなか見応えがあった。おまけに矢切りの渡しを船で渡った。
朝テレビで紹介していた目黒川の桜を見に。昔はどぶ川で悪臭がしたそうだが、今は川底が見えるほどに澄んでいた。川の両サイドにボンボリが下げてあり、夜桜をライトアップするはずだったろうに、自粛のせいで屋台とお店の灯りとだけで薄暗く、残念だった。
3日目の朝は秋葉原に行って海外で聴けるラジオを買った。昔の秋葉の印象はまるでなく、入った電気店の従業員がほとんど中国人、韓国人、黒人など外国人だったのにはびっくり。ラジオも震災の影響とかで購入できたのは最後の一台だった。電池もなかった。
その後浅草経由で言問橋までタクシーを走らせた。関東大震災復興のために架けられた橋だという。私がこの橋を知っているのは、45年3月10日の東京大空襲で橋の反対側に逃れようとして殺到した人々が川や河川敷それに橋上に死体の山が築かれたことである。この橋から話題のスカイツリーが正面に見えた。
この橋がかかる隅田川の両サイドには延々と桜並木が続く。隅田川も私が教育実習を受けた両国橋近くは真っ黒に濁って、子どもたちの絵の隅田川は黒く塗りつぶされていたものだ。人間に知恵があれば、このように自然を取り戻すことができるのだ。高速バスで帰途に。
バス待ち時間に近くの居酒屋で岩手風肉じゃがと岩手の地酒を飲んだ。(一部が復興支援に回るとあったから)新潟駅から越後線で自宅に向かっているときに寺尾駅で昨夜の7.4地震にあった。帰宅してすぐにテレビをつけた。心配通り、女川と六ヶ所村原発に事故が。
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